学生時代に何をしてきたか。それについて考えてみようと思います。
●血の滲むような部活動
学生時代の何をしたかと問われ思い出すのが、一番は6年間通してやってきたバレーボールです。それはもういわゆる部活動でした。週に4日の全体練習と、3日の個人的な基礎トレーニング。当然、高校生までのクラブと違って、試験休みや正月休みなんかはしっかりありました。
これで得られたこと。
①チームワーク力
②明確な目標設定と、それを達成するための忍耐力・努力
社会人として、医療人として、ここでトレーニングされたことの経験は絶対的なものとして身につきます。当然、集団社会の中での阿吽の行動に生きてきます。
今となっては、部活動を経験してきたものが社会に出て重宝されるのもよくわかります。礼儀作法・接遇などを一から教える必要がない。そう、医療も当然チーム力が大事なのです。
最近は体育会系部活動が敬遠されがちだと聞きます。しかし、文化系でも関係ありません。なにかしらサークルに入って、今後40年働くためのたった6年間の基礎作りなのです。体育会系には、若い時期の強靭な体力作りというオプションが付いているくらいで、一つの社会集団に所属して自分の個性を磨き、他人と接触するための感性を磨く場というのは大学生活時代ならではのことなのです。
私は当時はそのようなことを殆ど考えていませんでした。
もしかしたら集団社会に苦しむ新人研修医や若手医師は、ここで苦しんでいる人が多いかもしれません。経験した人と、していない人は、見ればすぐに分かります。
当然、活動のキャパシティーに雲泥の差があります。
ただしこれも個性。良い悪いではなくいずれはどこかで壁にぶつかります。いつどこでこの感性を習得するか、ということなのです。
また、私はたまたまバレーボール部という集団でしたが、練習があり、対外試合があり、公式戦があり、チームとして、または個人としての明確な目標設定と、それを達成するための忍耐力や努力を惜しみなく果たしてきました。
言葉ではわからないと思いますが、いつか気づく時がくると思います。
●一生懸命に遊ぶ
何も怠惰な生活をしてきたわけではありません。遊ぶためには、遊ぶことの目的がしっかりしてなければ、遊べません。また、それを達成するためにとにかく一生懸命になります。
上にある②に相当することかもしれません。
就職すれば思う存分遊べなくなるという事実もありますが、今振り返れば、「よく学びよく遊び」という言葉もまんざらではないように思います。
勘違いしないで欲しいのは、ずっと遊んでいたわけではないこと。一生懸命遊ぶことの裏返しは、遊ぶ時とそうでないときとのオンオフをしっかりせよということなのかもしれません。
実際、勉強するときは2日でも3日でも寝る間もなく取り組んでいましたから。
こういう私も、講義にでない日々もありました。しかし、今はこうしてブログ何ぞ立ち上げて、医学教育を語ったりしています。
●試験・試験・試験
とにかく試験が多かったことを覚えています。一夜漬けもよくやりました。計画性がないとも言われました。
しかし体力に自身もありました。試験の直前まで覚えました。
今の臨床の場で、自分が担当する時間帯(ICU当直)に、目の前の患者の状態を何とか悪くしまいと寝ずにベッドサイドに張り付くことがあります。
この精神状態は、あの時の状況と重なるものがあります。
決して諦めることはしませんでした。
●勉強?
現場で学生たちに「勉強しとけよ、勉強しとけよ」と言います。自分も学生の頃、言われてきた気がします。
学生時代は、病名や治療法を一生懸命覚えることが勉強だと受け取りがちです。実際、それしか受け取りようがないです。
しかし学生時代は、全てをひっくるめて勉強の場だと思います。このような教え方をしてくれる先生は中々いませんでした。
当たり前ですよね。とても抽象的で難しい概念です。
先生も歳を取れば取るほど学生の気持ちは薄れていきます。
そして、現場での若い医師には、学生をまともに相手にする余裕がありませんから、どうしても学生担当は上級医師になります。
正直だんだんと学生時代を忘れてきています。
●医学生たちへ
今日のブログは全くもって私の軌跡であり、一例です。絶対ではありません。
しかし、「学生時代に何をやってきたか?」と問われて、即座に答えれるような何かを経験しておいて欲しいと思います。
『勉強』に関しては、させられるもの・しなければならないものではなく、何かやりたいことをしていくための手段だと考えてみてください。
そうすれば、遊ぶことも、部活をすることも、本を読むことも、英語を学習することも、病気疾患を覚えることもすべて勉強なのです。
そして何をするにしても、思考力(考える力)を養っていただきたい。
目標なしの、勉強のための勉強というのは、実は何にもならないものなのです。
わからなければ、実習や講義の中で、生き生きとした目をした10年目程度の先生を探してみてください。その人に聞いてみます。『先生は学生時代、何をしていましたか?』と。
10年目ともなれば、単一診療科としての臨床経験も一段落して、次なる目標に向かっている時期です。大学内という環境に存在するならば、それなりの荒波にも揉まれているかもしれません。そしてどの科にもそのような人物はいるでしょう。それが、その人物が、その診療科の色になっているかもしれません。
学生時代は必ずしも華やかではないかもしれません。しかし、生き生きした目の新人研修医が、自分の現場にやってくることを、皆心待ちにしていることに、間違いはありません。